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沖縄自治研究会

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第5回定例研究会 下

○佐藤学氏  あえて議論のための話で言うと、議員をどういう立場にするかというところも考え方が二つあるわけで、昼間仕事がある人がやれる議会、兼業でやるとすると、これも限られてきますよね。例えばアメリカの地方議会がこれで可能なのは、アメリカの地方議会あるいは自治体の役割というのは非常に限られているからで、そうすると、どれだけの仕事をやらなくてはいけないかというところによって、可能かどうか決まってくると思うんですよ。それで、市町村長が上院議員をやるよりももっと大変かもしれない。昼間仕事がある人が夜間と土曜・日曜で、休みがないじゃないですか。これは大変なことであって、そうすると、もしかしたら昼間仕事がなくて、それこそ資産家だけしかできないかもしれない。戦前の日本の地方議会の地方名望家の議会になってしまう可能性もある。だから、有給でちゃんと給料出して、フルタイムで議員やってもらうという意味はそこにあるわけで、どういう議会を議員を想定しているか、アメリカ型の非常に限られたことを限られた時間でまかなえる、そういう議会を想定するのか、それともフルタイムで有給の議員がやる、そういう議会を想定するのかというのは、実は結構大きな違いがあるのではないかなと思いました。


○曽根淳氏  そうですね。


○玉城和宏氏  そうですね。だからそういう議員のバックアップ、それをやる人たちが一人でやれるような仕事では決してないと思いますので、その人たちをサポートする地域側の人たちの必要性、浜里さんがNPOとか市町村より下のレベルの、いろんな集団、そういうのも話をしておられたので、そういうようなバックアップをする人たちの存在というか、それがあれば仕事をチームの中で回して、代表は一人だけれども、まとめとしてはこうこう、こうこういう形でというスピーディな議論に変われるのではないか。だから、与えられた一人だけが特定の仕事をやるという形ではなくて、実はそのような形になればなるほど、我田引水的な、お金での関係でつながっている連中のみが、助けてあげるというふうになる。

 そうではなくて、やはり善意というか地域を良くしていくという、そういう有志の人たちのバックアップがあって議会に望むという、そういうシステムを目指してほしいなと思います。


○曽根淳氏  最初の完全小選挙区といったイメージは、そういうイメージなんですよね。二大政党制ではなくて、政党代表ではなくて、地域の人が支える地域の代表、それは政党の代表ではなくて、政党だと必ず党議の縛りがあって、その地域でそれが望んでなくても、その党議の縛りで議決するわけですよね。

 そうではなくて、その地域が必要なことをちゃんと議決する代表に小選挙区にしたらできるのではないかなと、これすごく細かい小選挙区ですけどね。そう思ったんですけど。このへんはもう議論し尽くせないので、やはり書かないというのが大人の見識かなと思いますね。


○濱里正史氏  確かに今の話をやっていくと、お金のかからない選挙とか、非常におもしろくて、これをやっていたら終わらない興味深いテーマではあるんですけれども、島袋先生がおっしゃったように、ここでは基本的な、理念的なところを最終的に残すということでいいと思います。
そこで、これ住民のところにいくのかどうかなんですけれども、直接投票あるいは住民投票と議会の関係とか、あと政党と議員の投票について。これは専門ではないのですが、政党の拘束で、議員の投票を束縛するということはできないようにする条項、党議拘束あれを規制できないものかというその2点ですね。要するに、政党と議会の関係、住民と議会の関係で住民の直接投票、これをうまく中に入れていいのかどうなのか、普通は入れないものなのかどうなのかよくわからないんですけれども。そのへんどうでしょう。


○曽根淳氏  自治市町村の時は、住民投票はどういう位置づけにしたんでしたっけね、だれか覚えてますか。どっちを優先するんでしたか。
(発言する者あり)
 そうですね。最大限尊重しなければなりませんですね。尊重するというところで、市民のどこに入れるのがいいのかもしれないですね。あるいは、これは優先するとしたらもっと複雑になってくるね。
 あと、さっきの党議拘束ですけど、これは結局個人の了解でやられていることですよね。それを条文で規定することってできないような気がするんですけど。


○島袋純氏  多分、議員の仕事をする条文が、ほんとは必要なのかもしれない。議員とは何か。日本国憲法で、地域より選出された、地域より選出されてもないですけど、国民代表だと書いていますよね。国民代表と概念的に書いてあるんですけど。これですね、もう少し詳しい話をすれば、アメリカでは国民代表という概念ではないんですよ、下院は。地域の代表なんですよ。だから短期間でしょっちゅうかえられるし、基本的に地域の利害を行使すればいいわけですよね。ほかに州を代表する、州全体の利益を代表するのがあるし、それから国の利益を代表する大統領があるので、それを組み合わさっているんですよ。

 ですけど、議院内閣制の場合は、下院議員が首相まで選出するので、下院議員自身が国全体の代表という意識を持たない限り、国全体の代表的な機能を果たせなくなるという問題があるんですよね。
 ですから、これどっちのタイプの議会にするのかという問題なんですけれども、おそらく、これはアメリカ型の議会対知事の関係ではあるんですけれども、日本国憲法の中では、国会が国民の代表とやっているように、おそらく今の自治体の議会も地域から選出されても、自治体全体の利益を代表するという全体的な代表の概念でみんな考えていると思うんですよ。そっちの問題はアメリカ型の選挙区の代表ではなくて、やはり選挙区から選出されても選挙区の代表ではなくて、全体の代表という概念で統一したほうがいいのではないか。僕は、これは矛盾しないのではないかなという気がしています。

 それから、もう1点は、全体の代表であれば、自分の良心にのみ基づいて投票行動に移ればいいわけですね。ですからアメリカでは、クロスウォーティングというのは、原則としてあるわけですよね。それは要するに議会が権力を構成しないから。議会は議会でしかなくて議院内閣制の場合は、議会が議会の多数派が権力を構成するので、どうしても党議拘束が必要なんですよ。そうしないと政権が運営できないので。そういった原則的な違いがあって、アメリカ型の議会大統領制システムの中では、党議拘束は本当は原則としていらないはずなんですよ。ところが、日本の場合は、基本的に国会のまねをして党議拘束を県レベルでも、市町村レベルでもかけがちである。市町村レベルでかけてるかどうかわからないんですけれども、少なくとも、県レベルではかけていると。

 ですから、ここで党議拘束をなるべく外して、良心に基づいてやるということを入れるためには、おそらく議員とはどういう代表であり議員は自分の良心に基づいて投票行動しなければならないと、そういうような規定を入れれば、党議拘束に関して敵対的な条文なんだなというのは理解できるのではないかなという気がしますよね。それ入れるべきかどうか。


○濱里正史氏  日本の国の国政はともかく、地方、今の県議会を州議会だとすると、これは知事は別に選ばれますよね。アメリカ型のほうに近づけることも制度的にはそういう中では可能というふうに考えて大丈夫ですかね。


○島袋純氏  完全に国民全体の代表ではなくて、選挙区の代表である下院は___問題___。だからやっている___。


○濱里正史氏  そういうことであれば、政党の党議拘束が昔からいやな感じがして、やめてくれという感じがするので、そのへんをうまく入れてもらいたいですね。


○曽根淳氏  わかりました。ではそれを考えて今の表現でいうと「議員は住民の代表としての役割を認識して、自分の良心にのみ基づき投票を行う」とか。


○島仲徳子氏  すみません、ちょっとタイミングを逸してしまったんですけれども、この二院制ですね、もともとの案の市町村長で構成される地域の代表ですね。それから、州全域の選挙区で選ぶという案がありまして、今ここで曽根さんがつくってくださったのは、市町村でまた完全小選挙区というふうになっていますね。私、現実的に考えた時に、やはり市町村長がこうやって議員になって、毎週土曜日に来てやる、代理も認めるというやり方は、徐々に形骸化してしまうのではないかと非常に思います。そうであれば、やはり地域の代表ということでこの小選挙区が残る必要性が大きいと思うんですね。

 そういうふうにいろいろ考えてきて、これはこれで置いといて、質問なんですけれども、この最後の2行なんですけれども、「沖縄自治州議会は通年制とし、議員の兼業化、住民の傍聴を容易にするために、夜間・土日の開会を基本とする」とあります。「住民の傍聴を容易にするため」というのは、このとおりだと思いますけれども、議員の兼業化を容易にするためにという意図をもっているのでしょうか。もしそうであれば、それはなぜなのかということが非常に疑問としてあります。

 先ほどの二院制もそうなんですけれども、二院制にする時の上院と下院の使命と役割というものを、きちんと押さえておく必要があると思うんですね。上院では何をする。下院では何をする。そこで議員の兼業化という言葉が出たときに、やはり税金を使って議員の皆さんに仕事をしてもらう時に、昼間別の仕事をして選ばれてきた皆さんが、本当に住民のためを思って、その時間とエネルギーあるいはもっとほかのことを投入できるのか。そういうふうな、兼業という言葉から危惧というんですか、思います。


○曽根淳氏  公務員のところもそうですし、議員もそうなんですけれども、自分は今の日本では、専業化しているところに、それで飯を食おうという問題があるのかなと、個人的に思っているので無理矢理入れたんですけど、別にこれを前提にしなくていいので、これはなくてもいいんですよ。ただまあ一応入れました。それは今言ったように、この議員で本当はちゃんと自分の時間を使ってちゃんとした政策提言や議論をしていくんであれば、専業化してもらって全然いいんだけど、そうでなくて、この議員給与を私財の蓄積あるいは調査費も私財の蓄積に活用するというようなことがあるとどうかなと思ったので、逆にどちらかというとボランティアではないですけど、ちゃんとした自分の生活の場とか社会的なポジションを持っている人が、可能な中で議論する。当然、給料というのは実費弁償の考え方が強いと思うんですけど、調査とか旅費とかに関わるものは当然見なくてはいけないのだけれども。そういう地域がバックアップする地域代表が出てくればこの政治のプロ化というのが防げるのかなと思うんですけど、現実的には難しいですよね。

 さっき話しかけたのに戻すんですけど、そのへんも確かにここで規定してしまうと、何かすごく話が偏った方向になってしまうのかなと。ですから、その役割としてはやはり二院を持つということと、選挙区とか、あと任期とか今の開催日のところは、先に規定するものとして、もし条文解説をつくるんだったら、そこに少しこういう考え方もあるということを触れて、外してもいいのかなと思うんですけど。


○新崎盛幸氏  下から2段目なんですけど、条例提出権と予算編成権はもう議会の独占ですか。完全にアメリカの大統領制みたいな形で知事にはもう提出権はなく拒否権だけ、というとらえ方でいいですか。


○曽根淳氏  独占ではなくて、有するに直すのですね。これは、直しましょう。


○藤中寛之氏  先ほど島袋先生がおっしゃった立法院の件について、参考程度にご指摘させていただきたいのですが、琉球政府職員だった知り合いによれば、立法院の予算編成権等の実質的な内容について、実際には琉球政府もミニ日本政府のような形になっていて、現場をしっかり知っている行政でないと、詳細に検討された法案とか予算とかは、つくることができない、ということがあるようです。その観点から、議会に予算編成権とか、条例提出権とかを実質的に策定していく上で、それを担保する機能というものの充実がすごく必要だなというふうに立法院の文脈から、自分はちょっと思いました。


○佐藤学氏  それに引き継いで言うと、そういう本格的な議会をつくるためには、安上がりではできないはずで、これは難しいところですね。G2でのこの議論で覚えているのは、今の県議会の定数を半分位にするならば、一人が5万人ぐらいの票で出られるはずだみたいな話があって、で、二十何人ぐらいだという話だったのです。それをどういう形でやるか。これはいつも地方議会の話で出るように、うんと安上がりで、兼業あるいは非常に安い給料で、その分、仕事量も少ない議会にするか。あるいは議員の数は多くしてもいいけども、でもとにかく仕事量は少ない議会にするのか。ということはチェック機関としての議会にするのか、あるいは少数の人に給料を払って、その上で先ほどボランティアで地域でサポートするという話もあったんですけれども、そこのところもちゃんと金で手当てして、調査費どころではなくて地方議会で議員秘書を何人も雇えるような、そういう給料出して、実質的な審議のできる少数精鋭の有能なプロフェッショナルの議会をつくるのか。本当はどちらかの選択をしなければいけないところです。曽根さんがさっきおっしゃっていたように、日本の議会の問題というのは、中途半端なところにあると、私はいつも思うのです。だから、それがどういうイメージなのか。条文解説のところで、二つの道があるということは書いていたほうがいいような気がします。

 だから今、藤中さんが言っていたことというのは、連邦議会のことで言えば、連邦議会が行政に対抗するだけの予算をつくる権利を持っているのは、それだけものすごい数のスタッフを雇っているからで、非常に大きな額の金がかかっているわけです。それをしない限りは、無理です。ただチェック機関としての議会、アマチュアのチェックがチェックするという議会も意義あるわけで、それだったらそれで徹底したほうがいいし、ということだと思います。


○曽根淳氏  そろそろこの項は終わらせて…


○玉城和宏氏  1つだけ、やはり全部キーになるのは情報の取り扱いなんですよ。いろんな意味で。お金がかかるのは何でかかるかというと、情報を取るわけでしょう。スタッフをたくさんそろえるのも情報のためですよね。だから、行政の持っている情報を、議員のほうが自由にいろいろ出せ出せという形で、あまり頻繁に出せというのはちょっと困るけど、ある視点を持って、理念を持って、こういうふうな情報がほしいから提出してくれという権限を付与すれば、それは少ないお金をかけて、実際にある情報を活用すればいいということになりますので、やはり情報をどのように有効に活用するかという、そこの部分をもっと真剣に考えたほうがいいのではないかなと、制度云々というそれ以前に。


○曽根淳氏  実は今の議会でも情報を取る権利というのは有しているんですけどね。ただ、佐藤さんが言われたような追々になっていると。ごめんなさい、そういうことも全部情報に盛り込めればいいと思うんですけど、何度も言うようですけども、この項をそうしていくと非常に大変なことになってしまいますし、私たちが決断しなければいけないことも、今、多くなってしまうので、併記する形で条文解説には情報の面も含めて、少し事例を紹介させていただいて、ここはまず選挙区の話は触れない、それから任期も触れない、それから開催日も触れないと、それから予算編成、条例手続きは有するに変えるという修正でよろしいでしょうか。

 それから次は、知事ですけども、これは今のところと関係してくると、まず任期の話がありますよね。それから政治任用もありますね。それから拒否権、みんな問題か。このへんちょっと経緯があれば、また島袋さんなり佐藤さんからお願いします。


○島袋純氏  さっき言ったような、予算教書とそれから法律・法案の教書、この二つの提出権に関しては書いていたほうがいいのではないかなという気がしますが。あるいは、これは教書と言ったり沖縄ではメッセージと呼んだらしいですが、それは書いていたほうがいいのではないですかね。単なるたたき台。希望、法案ではない、法案にさえもならない。法案提出権ないから。予算案提出権もないから。だから希望。予算も編成するんだけど、大統領が。それは予算教書であって、全くのたたき台で、増額修正から減額修正まで、何から何までできる。だから行政が出した案は、全く通らない場合が多い。ちょっと語弊があるのですが、基本的に、議会にいけばかなり修正される可能性が高いということです。だから日本の仕組みとは全く違う。その分だけ、議会に教書として出したものが返ってくる時に、あまりにも納得いかないものだったら拒否するという形ですね。もし拒否権をここに置くのでしたら、3分の2のオーバー・ライドですね。オーバー・ライドという権限が議会にあるんですよ。3分の2多数で、大統領の拒否権のくつがえし権。それをまた議会に認めるべきでしょうね。これセットだと思うんです。


○佐藤学氏  連邦議会の場合には、議会は議会で自分の予算案つくって法案として出すんですけども、大統領のほうは大統領で自分のほうで予算案つくって、それは自分のところの議員を通じて、その議員の立法ということにして議会に出す。要するに迂回、一段置いて、ただ本当にそれは両方の予算が対等なものとして突き合わされて、それを突き合わせていってやると。だから議会も本当に自前の予算をつくるだけのスタッフを抱えているわけなんですね。そんなところです。

 拒否権のことで、合理的な根拠がないっていうのはよくわかるんだけど、だけど多分これは、突つかれたら、突つかれたままという気がしました。ここで話が出てくるのは、緊張関係をつくるということで、執行部と立法部の間には緊張関係があるのだということを、この形で表現するための制度であるという気がします。もう一点、任期制限のところなんだけれども、2期までの限度というのがあれば、65歳年齢制限はいらないのではないかと思うんですけれども。自分が年取ってくると、だんだんこれは…、65歳で2期ということは、57歳までにならないことにはいかんということは、俺はもう10年しかないというそういう計算をするわけです。ひとごとではなくなる。

 ということで、先ほどの趣旨の話で、新しい人が入らなくてはいけないという話があったので、それは2期制限の方で出来るだろう。それが入っているから65歳はいらないのではないかと。


○曽根淳氏  別に全然いいと思うので、任期は65歳定年は取りましょう。それから、知事の拒否権は、合理的根拠のないというのは取るということと、あわせて予算教書、条例教書の提出権を持つということと(これで通じるのかな)、議会の側に知事の拒否権が発動された場合に、3分の2以上の賛成でくつがえすことができるというのを入れると。この2段に関してはそれでいいですか。


○島袋純氏   制度的な設計の問題として、知事の幹部職員に対する政治的任用に対して、上院もしくはあるいは両方の議会、両院になるんですかね。その承認権というのが問題がありますよね。これをどう設定するか、しないか。要するに今の副知事に関しては、議会の承認権が必要なので、それで承認されない場合に首になってしまうという状況ですね。これはおそらくアメリカの議会と大統領の関係を模倣した制度だと思うんですが、いろいろ弊害が言われているし、あるいは議会の権力の強化につながっているということでよく評価する場合もある。こっちをどうするか、あと下の行政のところに関わってくるんですけれども、政治的任用、もし下の行政が任期制的な行政職員、一般職員も任期制的な期限を切った採用となれば、あまり政治的任用と書かなくてもいいような気もしますので、一貫して終身雇用の任用ではなくて、期限付きの任用ということになってしまうので、その分こっちがちょっと気になるところです。やり方としては、幹部職員…これおかしいな。どうやったほうがいいか、ちょっと今案が出ない。問題はある程度指摘だけでとめておきます。


○曽根淳氏  ありがとうございます。これは、イメージなんですけど、今、現実に知事のトップダウンがなかなか生かされないというのは、幹部職員が経営的な感覚を持っていないというのは非常に大きな問題で、この人たちがちゃんと働かなければ、かえられるという仕組みが必要かなと思って入れたんですね。今議会の承認というのは、自分のイメージではないほうがいいと思っているんだけど、それもちょっと逆にまた政治的な偏りもあるのかなとは思うんですけど。もし、下のほうで、これも仮置きで置いたので、佐藤さんはまあいいと言っていたんですけど、行政職員を任期制にするのであれば、別にあえて幹部職員の任用について触れなくてもいいというのは、おっしゃるとおりかもしれないですね。

 一応申し上げておきますと、確かに現実はそうではないので、これに移行した瞬間に今の公務員の人を全員解雇するという意味ではないことを、公務員の皆さんには申し伝えておきます。イメージとしては、今退職不補充で定員を減らすという考え方があるんですけど、退職不補充で単純に減らしていくのではなくて、必要なポストからどんどんこういう人に、特にこういう一般の人に入ってもらったほうがいい部署から、そういう仕組みの人に順次入れ替えていったほうがいいのではないかと思ったんですけれども。


○島袋純氏  おそらくですね、現行地方公務員法上も政治的任用って可能なんですよ。例えば、大田県政の時に、宮城弘岩さんが経済部長をやってましたよね。基本的にあれは政治的任命でしかあり得ない任命の仕方なんですよね。すると、全部の部長職、政治的任命をやろうと思えばできるんですよね。沖縄の場合は特に天下りがなくて、これ本土では部長職というのは大体天下りですよね。中央省庁などからキャリアが来ると。沖縄の場合は実を言うとこれがかなり政治的任命で、自分の色に賛成してくれる職員を、なるべく自分に文句を言わない人を入れていくという形で、政治的任命的なんですよ。政治任命的、政治的任用的。それで、だからこれを逆に明示することによって、今も政治的任用されているんですけど、おそらく経営責任ということを明示化したいという意図はあったんではないかなと思うんですけれども、どんながいいですかね、こんなして書いて実際にやったとしても、今やっていることがより大手を振ってできることになったら、また何も文句を言わない人だけ張り付けて、また行政が停滞するということだってあり得るわけですよね。だから非常に大きな問題で、できればその宮城弘岩さんを採用したような、外からほんとは連れてきたほうがいいわけですね。アメリカ大統領制がそうで、基本的にホワイトハウスに乗り込む時に全部自分のスタッフを連れ込んできて入れ替えしてしまいますね。それができればいいんですけれども、下を見て一番文句言わないやつだけを上に引き上げてくると。だんだん、だんだん意見を言わない。発案しない行政、提案しない行政になってしまって問題があるので、これはちょっと書き方を変えないといけないのではないですかね。


○曽根淳氏  確かに今の地方自治法でも可能です。県によっては、例えば情報部門の統括責任者を民間のIT企業のばりばりにできる人を連れて来て、今まで無駄に発注していたのを全部この人がチェックして、何十億円の経費を浮かしたというようなことをやっている県もありますし、それをやったその人はもう次のポジションに行けるわけですよね。だから、それは可能なので外してもいいのかな。ただ、結局自分が言いたかったのは今のところなんですけど、実質、政治的任用になっているのに責任が問われない幹部職員というものに問題があるのだろうということを言いたかったんですけれどもね。外しますか。

 これも運用の話に入っていくんですね。だから、県によっては幹部職にマニフェストをつくらせて、それによって管理者がチェックをして、それに達成しなかったら降りてくださいねというのをやっているところもありますよね。それは、ここに書くことではないということなんですけど。では、ちょっと外しますか。はい。

 それと※のところも逐条解説に載せることで条文からは外しましょうね。

 では、知事のところは、任期のところから65歳というのを外すということと、政治任用は外すということと、予算教書・条例教書の提出権を持つということ、それから合理的な根拠はないので外すということ、議会の側にオーバーライトの原理をうたうということ、※のことは別途説明を入れるということでよろしいでしょうか。はい。

 次は行政ですけど、これは自分はある意味、似たような感じで民間企業に10何年も勤めてから行政に入って、この後、辞めてまた民間企業に別に行っていいと全然思っているので、まったく抵抗感がないんですけど、そのほうがいいのかある公務員の人とこの間言っていたんですけど、今公務員がやっている仕事は、道を歩いている人を連れて来て、「はいあんたやりなさい」と座わらせてやってもできるぐらいの仕事をやっている人が9割ぐらいですよと。まあ、ほんとかなとは思うんですけれども、イメージとしてそんなイメージがあると某公務員の人が言っていたんですけれども。さっきみたいに雇用問題をどうこうということではなくて、多様な行政執行のあり方というのか、そういうのを開いていくような仕組みにしていくためには、もしかして全部でなくてもいいんですけど、部分的にでもこういうような形を入れていったらいいのかなと思ったんですが。これらはぜひ、現地方公務員の方のご意見をいただきたいかなと思います。


○新崎盛幸氏  3段目の兼業の部分なんですけども、国籍条項の廃止は個人的には賛成するんですけども、兼業の部分ですが、これを認めてしまうと、単純に癒着の温床とかそういったものが発想されて、兼業を認めるといった場合の弊害は何か出てこないかというのがまず1点。あと議員との兼業という部分は、行政と議会のチェック・アンド・バランスの関係でちょっとふさわしくないのではないかという気がしました。


○曽根淳氏  そうですね、そう言われてみると、市町村議員はいいと思うんですけど、州議会議員はもしかしたらよくないかもしれないですね。それと、兼業なんですけど、確かに例えば土木の人が受注者側の会社と兼業しているとかいうのは、絶対に許されないことだと思うんですけど、自分がこういうのはいいかなと思ってイメージしているのは、有償だけども政府かつNGOとかの活動とか、あるいは自分が社会的な起業をして、新しい社会サービスをつくっていくというようなことをやって、将来的にはそっちに移ってしまうとかね。そういう移り変わりができるようなことは、やはり兼業してないとできないのかなと、あるいは研究職ですよね。と入れたんですけど。


○島袋純氏 非営利的な業務___。そうすれば、営利企業と行政職員と一緒になるとまずいなという気がします。どうしても自分の営利と関わるような行政職に自分から率先して仕事をもらいに行きそうな雰囲気があって。それもあるんですけど、とりあえず非営利的な業務、だから大学の先生なり、NPOの代表なり、行政職員がNPOの代表をするというのは現在実際あることなので、それはもういいかなと。


○曽根淳氏  例えば、前に問題になった国立大学の先生が企業の役員をやったからいかんのかと。だめだったわけなんですけど、いいのではないかと思うんですよね。それはやはりだめなんですか。


○島袋純氏  行政職員、特に分野が違うということを規定するのは、いろいろ規定があるんですけど、例えば天下りとかの問題に関しても、実を言うと分野制限があるにも関わらず、実際は有名無実化してますよね。だからなかなか難しいのではないかな。実際にこういう規定を設けると必ず何らかの利害関係がある兼業をやってしまったり、意外なのは、天下りのシステムを見たら、実を言うと利害関係のある部門に天下りしてはいけないと書いてあるのに、法律上、法律が有名無実化していますよね。法律でちゃんとした制限があるのに有名無実化しているので、やはりこっちはちょっと線引きしたほうがいいのではないかなというイメージですね。


○佐藤学氏  これは、その次のところの職員任期を入れるのであれば、これは兼業規定はなくてもいいのではないかなと思うんですね。やはり新崎さん言ったようなことというのは、アメリカの場合には、上の上層部にいけばいくほど行政職の人というのは民間からきた人たちで、だけどもここは明確に兼業してはいけないことになっているわけです。行ったり来たりはするんだけども、政府に身を置いた時には一応、民間企業とは関係を切らなければならない。それでも汚職が問題になるので、曽根さんが提案することの利益と、これまでの日本のあり方を考えた時の不利益をみると、やはり不利益の懸念のほうが大きいような気がします。仮に何らかの形で職員の任期制が導入できるのであれば、それで曽根さんの目指すところは保障できるのではないかなという気がいたします。


○島袋純氏  実は行政学は専門で、実を言うとこれ教えているものですから。実を言うと官僚制機構の成り立ち、あるいは近代官僚制という発達の歴史からすれば、すべて非常に危うい条項なんですよ。非常に大きな危惧をして、今こういうことを言うと、「お前は職労の手先か」みたいに言われるかもしれませんが、そういう手先ということではなくて、基本的に公務員組織に関する非人格化、脱人格化とか、それから職務専念義務ですとか、いろんな原理・原則があって、それで予測可能な合理性を持つというのが近代官僚制なんですよ。予測可能な合理性。それ一定のインプットをしたら、一定のアウトプットが出てくるなということでの予測可能性が非常に高い、極めて合理的な組織ということなんですよね。もしかしたらそれを、破壊しかねないなということをいつも危惧するんですが、世の中のほうが速く進んでしまって、今は本当にそれを官僚制の基本原理、近代官僚制度の基本原理と言われたところにまで抵触するような様々な改革がもう起こりつつあるので、非常に戸惑うばかりなんですが、その中で一番重要な点は、行政組織に対して、議会が条例法律によって規定していくのか、そして議会が行政組織、法律主義あるいは条例主義、組織条例主義ということで、職員あるいは職員と組織に関して、条例または法律によって規定していく仕組みなのか。それともこれは知事の裁量で可変、変えることが可能な組織に、職員組織にしていくべきなのか、まずそっちの議論。戦前は日本はプロイセン型の議員風の内閣、プロイセン型のシステムだったんで、明治憲法下では超然内閣だったんで、憲法上はですね。ですから、これは単に天皇大権であって、実際には内閣の裁量によってどうにでも変えられたんですよ。ところが戦後は、これが原則的にアメリカの原則が導入されて、すべての公務員のキャリアに関することに関しても法律、それから組織に関しても法律、すべて法律事項に変わったんですよ。これアメリカ制度が導入されて、戦後は日本も行政職員の国家公務員法とか、それから国家行政組織法とかすべて法律主義に変わっていったんですよね。その戦後のシステムをこちらに入れていくのか、第一の問題は。それとも戦前型の行政、知事の裁量に入れておくのか。実を言うとイギリスでは今でも首相の裁量なんですよ、組織の関しては。だから、ぱっぱっぱっと変えられるんですよね。ただ、首相自体は議会から選ばれるということなんで、それはそれで議会主義が貫徹しているという解釈ではあるのでしょうけれども。そういった問題。それからもう一つは、公務員制度をオープンシステムにするのか、クローズドシステムにするのか、要するに公開的なキャリアがどんどんどんどん代わっていく開かれた公務員制度にするのか、クローズドっていうのは、要するに下から上がっていくボトムアップ、ずっと上がっていって終身雇用制にするのか、そういった問題。終身雇用にするメリットというのは、近代官僚制は原則的に全部終身雇用なんです。これは何でかというと、常に中立的で公平に、さっき言った調整ですね。社会の利害に対する調整を行うことができる。身分の保障、例えば裁判官がそうなんですよ。終身雇用制なんですよ、裁判官は。これ終身が採用にされた理由は、要するに次の就職の心配とか、そんなことしたら裁判が公平に行われないと。公平かつ的確な判断をするために、終身制を確保しなければ、公務員制度も社会の理解を公平的な立場で調整できないという原則のもとに終身制になったんです。

 そういったいろんなニーズがあるものですから、そのすべてを公募にして5年任期、あるいは10年で終了とする場合に関して、もしかしたら大きな問題の生じる可能性のある部分が出てくるかもしれないということですね。

 例えばイギリスの問題の解決のしかたというのは、原則一般職に関しては、任期制ではなくて終身雇用制。それから幹部職に関しては、オープンキャリアシステムというか公開制で、公募制。それとうまく組み合わせることによって、行政組織を制度化しているという状況があるんです。これ地方の場合。中央の場合は、基本的に完全にクローズドで、終身制。それを採用しているというやり方ですね。だから、基本的にもしやるとしても、うまい組み合わせによってやらないといけないのではないかなというイメージです。ちょっと保守的な意見でしたが。


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